座って祈る畳の聖堂

先日聖堂に靴のまま入れるように、との意見が出たとのこと。主任司祭は、これを先延ばしにして下さったと聞き、有難い思いでした。
畳の聖堂は、ラウレス神父様の日本人思いの考えからだろうと私は思うのです。広島の田舎の町で日本人が緊張せず、座って祈れる雰囲気の教会をと、考えられたのでしょう。旧長束修練院もそうだったのだろうと思わせる、聖堂はお寺を感じさせるような畳敷の聖堂です。
私が洗礼を受けた頃、日本の教会で結婚式を挙げたい雰囲気のよい教会ということで週刊誌に祇園教会が載っていたことを、当時の近藤神父様から伺ったことがあります。
だんだん年をとり老いて来て、くつをぬいだり、はいたりが大変と思われる人があっても不思議ではないこの頃です。それでも、長年座って祈るこの聖堂にはたくさんの先輩信者の祈りがしみついていて、「ここは我らの祇園教会です」と見守って下さっている気がします。近代的な美しい聖堂、楽な聖堂もいいと思いますがもうしばらく、この聖堂で祈られることは、本当に有難いことでございます。
                             祇園教会を愛する一信徒