聖書の写経を終えて Fさん
まず、白浜司教様から直々に認定証をいただくとは夢にも思っていませんでした。大きな驚きと喜びをいただきました。と同時に、もっとていねいに仕上げをちゃんとすればよかった、と後悔しています。担当の方にお手数をお掛けしたかもしれません。きっかけは書いてみたい、から始まって、書き終えると三年経っていました。聖書には、「思いわずらうな」「いつも喜んでいなさい」など書かれています。が、思いわずらってしまうし、いつも喜んでいることは無理だったりします。そんな中で聖書の書き写しをしていると、聖書の中に引き込まれて、思いわずらうことから離れていきますし、与えられているお恵みをいろいろ感じられて、感謝と喜びがわいてきます。言葉の不思議さにも思いが広がっていきました。「はじめにみことばがあった・・・」言葉は今でこそ誰もが伝えあい、わかりあえたりしますが、人間がはじめに使った言葉はなんという言葉だったんだろう?何語だったんだろう?とか、どうやって言葉が全世界に広がったのだろう?とか。それにしても私の脳って、なんてたくさんの言葉を知っているんだろう、とか、神様が造ってくださった人間の脳ってはてしなくすごい、とか、きりがありません。聖書の内容とは離れた方向にも思いが広がります。聞き慣れた文章もあり、よくわからない文章も多々ありながら、ともかく黙々と書き写しをしている時間は、心が平安でした。聖書の書き写しは、祈りにもなり、気づきにもなり、お恵みがあふれることだと思いました。書き移せたことに感謝しています。そして、協力してくれた夫にも「ありがとう」を。
書き写しの最後に白浜司教様直筆のお手紙が添えられていました。その中の一文を書かせていただきます。
「写経しながらFさんの心の中に刻まれた神のみことばが、永遠のいのちへと向かう旅路を歩み続ける光となりますように。」
ありがとうございました。